浅草駅前の商店街で事件が起きたのは、平成23年9月2日の夜。ここで婦人・子供用品店を営む被告は、父親=当時(81)=の頭を金づちで複数回殴った 上、首を包丁で切り付けたとして逮捕、起訴された。被告は自らも手首などを切って自殺を図り、気を失ったが、父親が血まみれになりながら自力で近くの交番 に駆け込んだため、2人とも救急車で病院へ搬送され、一命を取り留めた。

父親から受け継いだ店を守り、浅草・三社祭の運営にも尽力するなど、地元でも厚い信頼を集めていた「2代目」はなぜ犯行に及んだのか。背景には、かねてから家族を悩ませる父親の行動があった。

検察側の冒頭陳述などによると、父親は21年6月に店の運営会社の代表取締役の座を被告に譲り、引退。しかし、会社の株の過半数を所有していたことなどから、経営に口を出し続けた。そして、引退の約1年後には“奇行”といえるほどの行動が目立つようになった。

父親は、趣味の発明に使う高額な材料を会社名で繰り返し発注した上、「おれが(会社の)代表になって、店をお前に貸すから契約金を持ってこい」と被告に 無理難題を要求。さらに、実の娘にあたる被告の妹にも「会社を乗っ取ろうとしている」と言いがかりをつけ、「娘が妻から宝石を盗んだ」として警視庁浅草署 に訴えたこともあったという。また、排泄(はいせつ)物の入った袋を家の中につり下げたこともあった。

迷惑行為は隣近所にも及んだ。自転車がすれ違うことさえできない狭い路地に勝手にテーブルを設置したり、飼い犬の糞(ふん)を路上に投げ捨てたことも。証人出廷した被告の母親は「近所の方に会うたびに謝っていた」と振り返った。

23年5月には、迷惑行為を注意した母親の首を両手で絞め、腹部をけるなどして暴行。母親は腰を圧迫骨折するけがを負ったが「内々のことで恥ずかしい」と、警察に被害を届け出なかった。

父親の暴挙を止めるため、家族が本人に代わって財産管理をすることのできる成年後見を申し立てようと、家庭裁判所や司法書士に相談したが、たらい回しにされただけだったという。

こうした状況で、家族がいちるの望みをつないだのが、父親の“隠居願望”だった。父親はかねてから、「千葉の房総に暮らしたい」と希望。このため、被告 の妹が家を買い与える代わりに、父親の株を引き取るという話がまとまった。しかし、事件当日になって父親は突然、「あの話はなしになった」と言い出したと いう。

被告はこの時の気持ちを検察官に問われると「あまりにわがままで…。家族で夢をかなえてあげようとしたのに、もうどうしたらいいのか分からなくなった」と涙ながらに振り返った。

さらにこの日、父親は数時間にわたって被告の後をついて回り「おまえは能なしだ」とののしり続けたという。「もう限界だった」という被告の感情が爆発し たのはその晩だった。書斎で一人、パソコンに向かっている父親を見た被告は「また何か迷惑ごとを起こす文章を作っている」と思い、後ろから父親の頭を抱 え、金づちを手にした。

そして引き起こされた悲劇。一方、事件で父親も大けがを負って入院したため、この時の検査で「ピック病」を患っていたことが判明した。

ピック病は痴呆(ちほう)症の一種で、脳の前頭葉や側頭葉が萎縮(いしゅく)し、性格が怒りっぽくなる▽同じ言語を繰り返す▽善悪の判断がつかなくなる-などの症状がみられる。若年性痴呆症に多いが、治療法が確立されておらず、診断も難しい「難病」とされる。

病気が判明したことで、父親は退院後に治療施設へ入所。被告の母親が申立人となり、成年後見の申し立ても行った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120205-00000536-san-soci

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ある電力系労組では支援議員の発言をチェックし、国会などで原発に否定的な発言をした場合は、議員や秘書を地元に呼び出す。「あれはどういう意味ですか?」などと、発言の真意を問いただすためだ。この労組幹部は「うちが選挙の票と人手を持っていることを強調すると、大抵の議員は言動が慎重になる」。

グラフィティアートを毛嫌いする人の理由ははっきりしている。自分がおとなしく従っている秩序に反抗する人間が疎ましいのだ。自分みたいにおとなしくいうことを聞け、と思うからだ。それは、デモを嫌う人たちの気持ちと似ている。

さて、「決める」という他動詞は、複数の可能性があると思われる状況において、<それらの複数の可能性のどの一つを実現させるかを決める>という述語の主語になる言葉が指すものが存在することを前提にした言葉だ。(...)ところが今日の近代科学の自然像の枠内では、そういう述語の主語になる物質系は存在しない。なぜなら、ニュートン力学が成り立つと見なせる現象においても、量子力学と相対性理論をつかわねば説明できない現象においても、その現象の時間的推移は、それに関与する物質系全体の中の諸部分の相互作用によって「決まる」のであるから、その物質系のある一部分が、他の部分に対して一方的な作用をすることによって、その現象の推移を「決める」ということは起こらないはずだからである。 (p10-11)

しかし、我々の日常言語で構成された世界像の下では(...)人間は多少とも自由意志を持つ存在(...)すなわち自分の意志を「決める」の主語になる存在である。(...)とすれば、その点では、人間にとっての「今の自分」は近代科学で言う自然界に属する存在ではありえない。 (p12-13)

ところが、近年の脳科学の実験研究によって、手足などの随意行動に必要な大脳の運動野の活動は、その行動をしようとする意志が本人の意識に浮かぶより数百ミリ秒ほど前に始まるなどということが発見された。要するに、意志はまず本人の無意識または潜在意識の下で生じることが実験で示された。したがって行動は本人の意志によって起こるものとは言えないということになった。 (p17)

「人間の言語における文の主語は、それ自身がする行動への意志を決定する「主体」を表わす」(...)そのような主体は、近代科学の自然像の中には存在し得ない。しかし、人間の自然言語はそのような主体が存在するという観念を人間の意識に浮かばせる。なお、主体という観念のうち最も重要なのは「私は自分の思考や行動を多少は自由に選択することができる主体(いわゆる自由意志の持ち主)だ」という文の中の「私」という一人称単数代名詞で表現される観念ではないか。 (p36)

ある範囲の主語と動詞からなる文の使用者(その文を喋ったり書く人、聴いたり読む人、またはその文を使って思考する人)の頭の中には、その主語がそうしようとする意図や意志を持ってそうするのだという観念がしばしば暗に生じる。そのうえヒトの脳には、他の動物にはないヒトに特有の言語と言語機構(言語に依存する記憶機構も含め)のおかげで、そのような観念だけでなく、事実に反する仮定に基づく推理の産物や空想的な想像の産物として、近代科学の自然像に反する観念やイメージもいろいろ生じる。そのうえ、科学の進歩と科学的技術の近年の発達に伴い、我々の言語使用に新しい混乱が生まれつつある。 (p43)

我々は日常生活でも科学上の議論でも「原因」「結果」「因果関係」という言葉をしばしば使うが、これらの言葉はとかく混乱や誤解を生じやすい。そもそも、ある現象の「原因」とは、論理的に厳密に言えば、それがなければ当の現象が決して起こらないような要因(言い換えれば、当の現象の生起のための必要条件)を指す言葉にすぎず、当の現象の生起のための十分条件を指す言葉ではない。 (p50)

今から半世紀前の熊本の水俣病の原因としては、有機水銀汚染魚貝の存在自体よりは、県や政府の当局が沿岸魚貝の捕獲禁止を怠ったことと工場排水の規制の欠陥とが重要な原因だった。原因という言葉の意味と使い方を吟味することが今日の世界で最も必要な問題は、多発している自爆テロの原因は何かという問題だと私は思う。 (p53)

http://bit.ly/nvlVYQ